柴田映画の神髄

いやはや参りました。昨日見た映画なんですが、脳裏に突き刺さる構成と映像でここ数年で1番衝撃を受けました。いつも映画を見るときは、ゆっくりソファーでくつろいで見るんですが、昨日は身を乗り出してみてしまいました。いやはや参りました。こんな映画を見られることを幸せに思い日々を研鑽していきますので、どうぞよろしくお願いします。

私たちは宇宙に存在する地球と言う惑星に存在するのだが、その存在は果たして真実なのであろうか。
いろいろな考え方があるであろうが、実は私たちは存在しているようで存在していないのではないかと思うことがある。
この点、柴田大輔の映画館と重なるところがあるのだが、決して同じではないことも確かなのだ。
生まれてから、生きて、魂となる。この中で繰り広げられる営みは本当に必要なことであるのか。
私たちは何をして、何をしてはならないのか。その本質は誰にも分からないかもしれない。
しかし、生きることは、宇宙の新からひも解くと必ず意味があるはずだ。必要だから生きている。そう考えたい。

いつも思うのだが、どこをとっても同じ側面からの映画が多いような気がしてならない。
いわゆる人間模様なのであるが、どれを観ても誰がやっても同じなのでは?とふと疑問がよぎるのである。
そこを破壊したのが柴田大輔の映画ではないだろうか。一側面からではなく、あらゆる、それも思いも付かない角度から展開される人間模様。
私たちの生活を如実に感じることができる世界観なのである。
モダンからポストモダンに変質したときのように大きな衝撃があったことは筆舌に付くしがない。
いま私たちの世界は真実なのか。柴田大輔の表現には、そのような問いが隠されている映画なのである。